昭和51年03月04日 朝の御理解
御理解 第57節
「金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。」
教祖さまの教えて下さる御教えは、どこまで深いか分からないという頂き方と、それこそ女子供でも年寄りでも、もう簡単に分からせてもらえれるものとが、含まれておる。そしてどちらにした所で、おかげが受けられると言う所に、何と申しますかね、もう本当に自由というか有限というか、もう限りないその自由自在な頂き方で、そこにおかげの立ち現れると言う所に素晴らしさがあります。
いわゆる普遍性にとんでおると言う事です。取り分けこの57節なんかは、それを感じますですね。確かにどんなに金があっても、ね、金は使えば無くなるもの。どんなにこの人だけはと信用しておっても、例えていうならば親子の場合でもそうです。「もう家の息子は親孝行もんで、元気で」と言うておってもその親孝行な息子が、その元気な息子があっという間に事故のために亡くなったと言う様な事があるでしょ?ね。
だから実にその頼りにならないと言う事は、もうこの上もないまぁ不安な事ですけれどもです、そこであの神を杖につけば楽じゃと。もう頼りになるものは何にもない。「もういや、自分の腕だけは信じとります」と、例えば自分の腕だ所でです、ね、実を言うたら信じられるものはありません。ね、いわゆる自分の腕を信じておった人が失敗をします。もうそれこそ、生きる望みすらなくなるという人があります。いわゆる自信喪失であります。ね、ですから神を杖につけば楽じゃと。
ですから私共日々信心させて頂いて、楽でない例えば心の状態。又は金銭物質の上においても楽ではない、不自由だというならばです、まぁだまぁだ神を杖についていないんだと、真実の神様をまた神様の働きを信じれれる信心に、愈々進んでいかなければならない。もうここに至りますとね、もうこれは教祖様の哲学です。ね、神を杖につけば楽じゃと仰せられるのにあなたは一生懸命、毎日参ってきよる一生懸命信心しよるけれども、楽じゃないじゃないですか。
金銭の面でもあんま楽じゃないじゃないですか。ね、なら心の状態だって安心のおかげを、まだ頂いておるわけじゃないじゃない。という程しにまだ神をあなたは、杖についていないんですよと。いかにも杖についておるようであって、まだ木や竹それこそ折れたり曲がったりする杖をついておる証拠ですよと、言えれる風に頂きますともうそれこそ、いわゆる教祖の哲学です。ね。
ご本部のある先生が、私はそういう意味のご理解を聞かれてから、もう本当にそのこの御教えだけで、合楽の信心は素晴らしいと言われたという先生が、あったと言う事を聞いたですけれどもね、本当にそうです。昨日は親教会の報徳祭でしたから、ここからも沢山おかげを頂きました。お説教が南久留米教会の足立先生でした。久しぶりに先生の話を頂いたんですけれども、決してお話が上手とかどうかと言う事じゃないですけれども、とにかく人の助かるお話でしたですね。
自分がかくと信じておられる話ですから。ね、そのお話の中に、だんだん聞きよりましたら「あらあの人は、清水さんのことじゃないですか?」と言うて隣に、秋永先生がおりましたから、「そうですよ、あのご神具屋さんの清水さんですよ」と言うんですよ。というのはあのここにも椛目時代に、御神具をずっと売りに来ておられましたよね、あの方です。あの方はがその当時までは、まだここではあの椛目では、御初穂と言う様なものを、私は全然受けておりませんでした。
ここは教会じゃないから御初穂はいらん。それで皆さんが例えばんならお供え。それでもう普通はただお願いに参った、そん代りもう盆正月にはもうお鏡さんが集まってくりこと、集まって来る事ばさらか。盆になるともうそうめんが一年中食べんならんくらいに、カビがはえるほどに集まってきましたね、あの時分の話です。沢山お参りがありますから、その御神具がずっと売れる。で月次祭たんびに、その御神具を持って商いに見えておりました。その方です。
その方色々あったが、あの中島の上滝さんが、あんなに粟粒結核でもう愈々難しいと言う様なあの状態から、当時の椛目でおかげを頂いたのは、私が上滝さんを同じ床の中に一緒に休ませるようになってから一月間でしたもんね。そういうお知らせを頂いて上滝さんを私が、私の横に休ませるようにした2.3日目でした。やっぱり清水さんが見えられまして、色々と信心の四方山話の中からです、私の甥に当たる人が九大で粟粒結核で亡くなったという話をしてました。
もう粟粒結核という病気はとにかく怖い病気ですね、もうとにかく医者でも怖がる、医者でもエプロンを度々に取り替えるというほどしですから、怖い病気ですよと。そうでしょうね、そりゃんなら上滝さんたちのなに、なんて言いますけれどもんなら、もうそれこそ部屋は締め切って、茶碗1つでも熱湯にして、側によりきらんくらいじゃった主人の側に。粟粒結核とはそんなに怖いもんだという話をしてくれたのが、この清水さんでしたよ。もう私は本当にめくら蛇におじずにでね。
平気で横にそれこそあのご承知の方は覚えておられましょうけれども、もう骸骨のようなしかも長く風呂に入ってませんから、もう何かしらんけれど頭伸び放題、それこそもう臭いがプンプンするんですよ、このどう腹から膿がずうと出るんです。ここからほげてそれはもう本当に、もうこうやって上を向いておると、神様が上滝さんの方ば向けと仰るけれども、向くと余計臭いがするわけです。そういう時にですね、その3日目か4日目に、その清水さんが見えてから、その話を私にされる。
はぁ本当に神様が清水さんを使われたんですね。もう私はもうそれを聞いてから途端に、いわば怖くなったわけです。ね、そん時に頂いたのがこの神を杖につけば楽じゃということでした。私が粟粒結核と聞いて怖いと思うた。しかもそん医者でちゃそんなに、えすがるような病気を、同じ床ん中に一緒に休ませる、こっちには左側には上滝さん、右側には荒木さんちゅうて、これもまたもう粟粒結核じゃないけれども、もう結核で亡くなる一歩手前と言う様な人でした。
両方に休ませとったですからね。それは勿論布団は別でしたけれども、そんな事がありました。そん時にです、ね、もう不安というかあのそりゃあの時分の、私のほうの子供たちは、みんなそういうもう本当にヨロヨロするような病人ばかりが一人ひとりあの抱いたり、おうたりしてあの御守りをしてくれておりますが、このご理解を私頂かなかったら、とてもあんな事はできなかったと思うです。もう一番怖いなら、その上滝さんの粟粒結核というそれをです、乗り越えとるわけです。
それはどう言う事かというと、今いう神を杖につけば楽じゃと仰る、所が私は怖い。これは私の信不足だというのであるまた修行を始めた、そこから安心が生まれたきたです。ね、もうそれこそ本当にビックリする、見る見るおかげを頂いたです。ね、一ヶ月目に丁度あのつついで信徒会が、あの共励会あっとりましたが、椛目からつついまでですからね、片の瀬の向こうです。やっぱり一里あまりの所を長靴履いて歩いて行くというほどしにおかげ頂いたですよ。
勿論これは一月ぎりでしたけれどもね。そういう例えばなら怖いと思うたり、不安であるという時にはです、お互いがまだ神を杖についていない時だということなんです。そこでねそういう時には、1つ取り分けての特別の修行をさせて頂くことです。不思議です信心に熱情がかけられておる時にはです、それこそ矢でも鉄砲でも持って来いと言うような度胸がでけます。ね、その清水さんのお話を、昨日聞かせて貰いました。もう80何歳ちいわしゃったですかね。
高橋さん覚えてないですか?80何歳か若くしちゃるけど、もうそんな歳だったそうですよ。それが先日亡くなられたという話でした。別に教えを頂かれるわけでも徹底してませんからね、ただそのもう一生懸命、あの金光教の信者は、教会にお参りさえすれば良いという話をなさいました。まぁ合楽の話からいうとだいぶこう、遠い話ですけれどもです、ね、今日のご理解のように、金光様の御信心は、ね、どいうならあり方からでも、おかげが受けられると言う事です。
20年前にじん臓ですか手術をしても一年、手術をせんならもう3ヶ月しかもてんと、医者に宣言された時から信心が、本当はいわゆるお参り信心ですけども、日参の信心が始まった。毎日御神米を一体づつ頂いて帰られる。そしてその御神米を小さくきられる、勿論、御神米もお皿にこう出されるそうです。そしてその御神米を小さくきっといて一体づつ、みんな御神紙も御神米も毎日毎日頂かれる。もうこれが修行でありそれが清水さんの信心であったと言う事です。
もう亡くなられるちょっと前まで、何日か前までお参りになったそうですが、もうそれこそ息子さんから、父がこうやっ大往生ののおかげを頂いたというあの電話を、受けたと言う事でございましたけれどもです、それこそ只々神を杖についての20年間であったと言う事です。ね、いいですか今日私が申します、あの教祖のこれは哲学だという難しい方じゃないです。ただ金光様1つに縋って、毎日毎日参ったと。
不安でもある心配でもあるけれどもです、その御神米を頂く事は一体づつ、もう御神紙まで奇麗にちぎってお皿に入れてあって、それをいつも頂いておられる。そしてそれがですね、段々おかげを頂いて、一年経っても死なん2年経っても、20年間生き続けられて、80何歳まで長生きのおかげを頂かれたというんですよ。ね、昔の方達はそういう信心の方が多いかったですね。
御神米だけでおかげを頂くと言った様な。なら心が救われる心に、なら安心が頂けてです、いわゆる楽じゃというのじゃないけれどもです、ならただ金光様一途に20年間お参りし続いて、手術をしても1年間手術をしなかったら3ヶ月しかもてんといわれた、その体が80何歳までも、20年間という長生きのおいかげを頂かれたと言う事。ね、それはどういうことかと言うとです結局、金光大神御取次ぎの働きが、御神米の上にもまたお参りの上にも、おかげの上にも現れておると言う事であります。
だから分からなければとか実行しなければとかじゃなく、ただ昨日足立先生の場合は、参りさえすればというご理解でした。だから参っても今言う様にそのそういう信一筋というかね、神様を信じとるちゆう事じゃないけど毎日毎日、御神米を一体づつ頂きよるから、もう自分はおかげを頂くと言った様な信じる力がです、1年経って死なん2年、3年、5年経っても死なんおかげ頂いて段々御用も出来る様になってきたと、言う事になるのですから、その信ずる心は段々強く成って来たと言う事になります。
ならそういうおかげというのはです、金光大神お取次ぎの働きによってです、ただ一途に神を杖について、だからそういう意味でも神を杖についてと頂けるのですから、どんなに浅くも深くも頂ける事が分かりますですね。「あんなたの杖のつき方は間違っとるばい」と言う事はないです。ね、ギリギリの所はです私がその、上滝さんのその時にです、怖いそんな思いがしたけれども、あただに震いが出るような思いがしましたけれども、神を杖に上滝さんがそう言う様な中に助かった。
愈々私の心はもうそれこそ、神を信ずる力というものは、もうモリモリするほどのおかげを受けた事は事実であります。昨日ある所から、直子先生宛てに現金封筒で、沢山それも沢山のお金を送ってきてるんですよ。それがあの最近直子がもう一生懸命の信心修行しておると言う事を、まぁ聞かれたわけですね。だからねもう親先生に直接お取次ぎを頂くよりも、直子先生のお取次ぎを頂いた方が、よりおかげを頂くと確信されたわけですね。その手紙の内容に。
ずっとそれが書いちゃるです。ね。本当にねあの人が助かると言う事のきっかけというものは、素晴らしいですよ。なら直子先生がんならその事を読ませて貰い、その願いをです、又ここでお取次ぎを頂くわけです。だからいうならば、私の信心には金光様がついてござる、ね、直子の信心には親先生がついてござる、そういう強力な取次ぎの働きというものが、生まれてくるわけですね。
昨日は御大祭が済みましてからお説教だけ頂いて、すぐこちらへ帰りました。昨日は梅の実会でございましたから、若先生が「今日は梅の実会の方達は、今日は丁度お節句でもあるから、僕の部屋でみんなするように」と言うとったそうですから、みんな若先生の部屋でいたしました。同時に研修も一緒の時間がなりましたので、修行生の方達もみんな集まって、それから善導寺から通われた御信者さん方も10人あまり、みんなここへ又出てみえましたから、一緒にまぁ信心共励をさせて頂いたわけでございます。
みんなの昨日のご理解を頂いての、その頂き止め方というものが、みんな素晴らしい、一人ひとりが。ね、昨日はいわゆるいつも裃をつけたような信心をしておかなければならない、これは取り分け教師に対するご理解だけれども教師だけじゃない。矢張りそれを受けて帰るまたは願い、そしてお取次ぎを願うて、そしてお取次ぎを頂いて帰る御信者の皆さんの場合も、矢張りそういう信心がでけなければならないというご理解でしたが、まぁいうならば、プロ向きのいわばご理解でしたけれども。
昨日のご理解で皆さん、大変おかげ頂きましたです。どう言う所におかげ頂いたと言うんだろうかと思いまして、皆頂き終わってから、竹葉会の方達にもみなさんが発表した、また今朝のご理解を頂いてま、感想だけでも一口述べなさいというてあの申しましたから、そこの野口さん所のあの嫁さんですね、あきこさん。が来とりましたから「あっこさん、あんたどげな風に頂いたか」というふうに申しましたら、まぁとにかく私は、まっ頂き止める所を頂きとめてないと。
まぁいうならばそこに何十人かおりましょうが、そん中のまぁ一番未熟といえば未熟な信心ですから、ただ分からなかったとこう言うだろうと思ったんです。難しゅうてやっぱりそのプロとアマの違いがあるねと、私が言うたら。「けれども先生、私は今日の皆さんの話を聞きながらね、発表を聞かせて頂きながら、親先生の日夜絶ゆまない、そういう日々のお取次ぎの働きを受けておると言う事は、何と幸せな事であろうか、これは私自身もぐずぐずはしてはおられないというものを感じた。」
と言う様な事を申しましたよ。私はそれを聞いて「もう、あんた100点満点だ」と、私は申しました。ね、こういう風にいわゆる日夜をあかさぬ、こんな素晴らしい親先生を頂いて、その親先生のお取次ぎを日夜頂いておるからこそ、今日このようなおかげを頂いておると言う事をです、今日ほどそれを感じた事はなかったと言うのです。はぁ本当にあんたあきこさん。そこを頂いておったら、まぁいうならば今日の梅の実会の会員の方達からしてみると若いいうなら梅の実にも等しい、若い嫁さん達ばか。ね、
家では家事に追われて、いわゆる子供の養育だけに、もう没頭しておる若い嫁さん達ばかり。がそのいわばご理解を頂き、その皆の発表を聞かせて頂いてです、そういうね、日夜こんな尊いお取次ぎを頂いておるおかげで、この様なおかげが受けられておると言う事は、ね、なんと有難い事だろうかと思いました。これは私の信心もただ月に何回、こんな側におるのですから、こんなこっちゃいけないと言う様な事を実感したというわけです。しかし私は昨日それを思いました。
決してあのお話というのは「座お見て法とけ」なんて昔、仏教的な言葉の中に申しますけれども、そんなこっちゃないと思うですね。本当に私の話であったらもう私のギリギリの話し、いうなら特に取次ぎ者に対するお話し。でもですんならそういう初心の人ですらも、そういう有難ものを頂けれるというんですから、座を見て法とけ、問題は私自身が有難いものを持って伝えるならば、訳は分からんでも、おかげが受けられると言う事を感じましたですよね。
昨日そこの田中さんがお届けをされました事でございました。丁度昨日の5時の御祈念が始まると同時、御結界につくと同時に、そこの徹美君が事故を起した。後から話を聞いて驚きました。5メートルぐらいあるそうですよ。しかも谷のそのなかんごたる所に落ち込んどったそうです。そして自動車は勿論メチャメチャでしょうけれども、本当にこれで命があったちゆう方が不思議と言う様なおかげを頂いて、自分で這い上がったのも素晴らしいけれどもです。
もうどうもその辺には家がないとこだそうです、所が1件だけ家があるそうです、その家がそこに電話があって、大変親切にして頂いてです、ね、あの電話を掛けたのが丁度私がこの御結界へついた時でありました。昨日その事も素晴らしいタイミングと言う事で、お話しを聞いて頂いたですがね。それですぐ怪我しとりました、あの石川君石井君とあの野中君が特別、あの仲の良い友達ですから、2人がすぐ行ってくれました。
そして帰って参りましていから、話を聞かせて頂いたんですけれども、もうとにかくその家に着いた途端に足が動かなくなったそうです。あの人たちが行くまで、御神米ばこう持ってから「金光様、金光様」ちゆってから、( ? )ちから「金光様、金光様」ち言いよったち。ね、そして足が動かんから2人で抱えて自動車に乗せて、それからあの他の病院は、まぁあんな朝早よありませんもんですから、あの何とか病院でしたかね聖マリア病院か病院に連れてまぁ行って、すぐここにまたお届けに出てきました。
「僕達が2人で抱えた具合でありますと、足だけはもう役に立たんごとなっとるごたる」ちゆうわけですよ。それを聞いて田中さんが、すぐここにお届けに見えられました。そして今からあちらのお母さんと2人で、すぐあちらにやらして頂くからと言う事でした。それから暫くしましてから、それから1時間ぐらいしましてからでしょうか、本人から電話が掛って来たと言うて、末永先生がお届けにきました。「おかげを頂いて、別にあの別状なかった、足の方も別状ないと言う事です。」
というお届けがあって、あったらもうすぐ後ろにその徹美さんが出てきとるんです。チンカチンカしながらじゃあるけれども、足が動かんち言いよったが、どげんしたじゃろうかと。それを見た田中さんがです「本当に親先生の祈りの素晴しい事に、もう只々恐れ入りました」というて、又お礼に出てきました。ほんの今さっきから聞いたばかり、もう足はダメになるだろうとこうまで言われよったから、それこそビックリしてすぐなら病院に駆けつけようとしておった。
そして話をまた本人から聞けば聞くほどです、まぁ何と神様のご都合、御働きの素晴らしい事に、まぁ驚いてしましました。その前の日に仕事に出ます時に、ここにお届けに必ず来てから出るんです、そして最近はあのスピード違反をしとりますから、もうもう一回したらもう免許書を取り上げられる所までいっとったんです。「だからね、徹美さん。あのとにかく若さに任せてね、そのスピード出したらかんち、ね、例えば5分10分遅れたっちゃどうあるかと」言った私が。
「例えば20分遅れたっちゃいいじゃないかて、それがどうこうと言う事じゃないから、とにかくルールだけは守らなければいけないよ」というていうなら仕事に出た、その明く朝の事です。それが自分にすると、その朝の御祈念に間に合いたいもんだから、スピードを出しとったわけです、そのスピードであんた5メートルもある所の、石やら岩やらこうある所に、飛び込んどるのですからね。
そこを這い上がって出てきた事も有難いが、しかもただ一軒家のような家が一軒あっただけだという、そこの戸をもうドンドン叩いてから送って貰ったら、もう大変な親切な方でね、その熱いコーヒーを出してくれたり、その色々世話して下さったと言う事です。してこちらから2人行くと、もう間髪を入れず、丁度2人が朝の御祈念に参ってきとりましたから、すぐ間髪入れず迎えに行って、もうそのまま病院に連れて行ったというわけなんです。ね、そう言う様な事でもです。
お取次ぎの働きというか、そういうお取次ぎの中にあるから、私の言うことはきかんでおってもです、おかげが受けられると言う事はです、矢張り彼がいつもお母さんと信心共励する時に、「もうとにかく神様をはずしちゃならんばい、もう合楽の信心を頂きぬかなでけん」という話を、一途にただただ頂いておるという、神をねそういう意味においての、神を杖についておると言う事が、そういうおかげを頂いておるのです。ね、今日はだから神を杖につけば楽じゃと言う事はです。
大変な所謂教祖様の哲学とさえ思われる、いうならば深さと又は清水さんの例やら、ね今聞いて頂きまし、徹美君の昨日の事故の事やら、それこそ入院してまぁ暫くは掛るだろうと思うておったのがです、もうその日早速もう帰ってよかばのちいわしゃったげ。ね、そういう例えばおかげの事、ね、例えば上滝さんの例を申しましたようにですね。それこそ途端に奮いが出る様に怖くなったけれども、それは本当の神を杖についていなからだと言う事を分からせて頂いて、一修行さして頂く事によってです。
、そこにいゆなら矢でも鉄砲でも持ってこいという安心が生まれた、というほどしの難しい意味合いにおいての神を杖につくのであり、ね、清水さん又はその徹美さんの意味合いにおいての神を杖につく一途なもの、は例えばもう3ヶ月しかもてないといわれる命でも、20年間も生き延びがでけるようなおかげが受けられる。又は例えば昨日、末永先生が徹美君のお届けをしたのは、もうここのお届けの一番最後でしたよ。ね、これはもう病人やら怪我人やらは、もう難ずかしかという時に。
いつも頂くんですけれども、実を言うたらそういう難しい中にです、ね、成程これなら死んだっちゃ無理はなかろうちゆうごたっ所に飛び込んどるんですからね実際は。しかもスピードで。ね、そこをおかげを受けたというのは、これはなら深いという意味ではなく、ただ浅いけれどもです、神様を一途に杖についておるという、そういういうならば意味の、いうならこの57節は取り分けね、教祖の御教えの中でも普遍性にとんだ御教えであると言う事を、今日は聞いて頂きましたですね。
どうぞ。